2014年10月7日火曜日
日本の雇用慣行とその歴史 ① (濱口桂一郎『日本の雇用と中高年』より)
なかなか身の回りが片付かないのだけれど、この本について紹介しようと思う。
日本の雇用制度について歴史的な経緯から説明していて、とても勉強になった本だ。
「第一章 中高年問題の文脈」の「三 年齢に基づく雇用システム」には以下のようなことが書かれていた。(太字部分は僕が太字にしたところ)
p.41「明治期の日本では、製造業の職工たちは頻繁に工場を移動し、「渡り工」と呼ばれていました。
新卒採用もなければ定年退職もなく、年功賃金も年功序列もなかったのです。
これが変わりはじめるのが日露戦争期です。特に第一次大戦後の労働争議の頻発を契機に、大企業の労務管理制度が大きく転換します。
大企業は争議を主導した渡り職工たちを追放し、自己負担で養成した若い子飼いの職工たちを中心とする雇用システムを確立しました。
この時期に作られたのが定期採用制と定期昇給制、定年退職制です。」
p.42「学校を卒業したばかりのまっさらな若者に、企業負担で教育訓練を施し、企業内で職長などにまで昇進させていくという仕組みです。
他企業に雇われていたよそ者は、期間を定めた臨時工という形で雇われ、本工たちのバッファーとされました。
また本工を企業内に温存するために、本工全員が一斉に一定時期に、毎年必ず査定を受けて昇給していき、勤続とともにその昇給が累積していくという定期昇給制がとられました。」
p.42「そして、労務コストの高くなった彼らを一斉に排出する手段として定年退職制が導入されたのです。
このシステムにおける雇用とは、企業へのメンバーシップを意味するものでした。
しかし、こういった年齢に基づくメンバーシップ型システムが適用されたのは大企業の本工たちだけで、社会的にはごく一部にすぎませんでした。
大企業を排除された渡り職工たちは、中小企業の世界で頻繁な労働移動を繰り返していました。
労働社会の大部分は、年齢に関わりないジョブ型システムの下にあったのです。」
p.43「こうした戦前期大企業の労務管理制度が社会全体に広がっていく契機は、戦時体制下の労働法制にありました。
学校卒業者使用制限令(一九三八年)、青少年雇入制限令(一九四〇年)により新卒者の採用統制下に置かれる一方で、従業員雇入制限令(一九三九年)、従業者移動防止令(一九四〇年)、労務調整令(一九四一年)により、採用から解雇まで雇用管理を厳しく統制したのです。
また、工場事業場技能者養成令(一九三九年)は五〇人以上事業場に三年間の技能者養成を義務付け、大企業の養成工制度を中小企業に強制することになりました。」
p.44「こうした戦時立法は戦後全て廃止されました。終戦直後の雇用システムを主導したのは急進的な労働運動です。
しかし、その目指す方向性は、年齢に基づくメンバーシップ型をさらに強化しようとするものだったのです。
過剰人員を整理したい企業側と雇用を守りたい組合側の間で、定年を理由に排除できるとともに定年まで雇用を保証するという意味合いで定年制を導入する例も見られました。」
以上のような経緯で、戦前期にジョブ型雇用が一般であった日本で、メンバーシップ型の雇用が広がっていく。
戦後になると経営者側はジョブ型雇用に移行しようとするが、『配置転換』をめぐる問題からメンバーシップ型雇用の維持に転換する。
p.45「経営権の確立を掲げて一九四八年に結成された日経連(日本経営者団体連盟)は、一九五〇年の『新労務管理に関する見解』において、「徒に仕事内容と無関係な身分制の固定化と給与の悪平等」を排し、「仕事の量及び質を正確に反映した」職階給制度の導入を唱導しました。
職階制の効果として「同一労働同一賃金の徹底」というのも挙げられています。」
p.46「一方政府は一九四〇年代末から職務給の導入に向けた指導を行っていましたが、とりわけ一九六〇年代には政府全体の方針となりました。
前章で見たように、国民所得倍増計画をはじめとする累次の政府の政策文書は、口をそろえて職務給への移行を唱導しています。
一九六七年に政府が国際労働機関(ILO)の「同一価値の労働についての男女労働者に対する同一報酬に関する条約」(第一〇〇号)を批准したのも、こういう時代精神を抜きにしては理解しにくいでしょう。」
p.47~48「ところが一九六〇年代後半には、事態はまったく逆の方向に進んでいきます。
一言でいえば、仕事に着目する職務給からヒトに着目する職能給への思想転換です。
これをリードしたのは、経営の現場サイドでした。その背景にあったのは、急速な技術革新に対応するための大規模な配置転換です。
労働側は失業を回避するために配置転換を受け入れるとともに、それに伴って労働条件が維持されることを要求し、経営側はこれを受け入れていきました。
日経連が理念としての職務給化を主張していたまさにその時に、企業人事の現場は職務給では配置転換が円滑に実施できないということを認識し始めていたのです。
そして、この現場の声が日経連のスタンスを変えていくことになります。
この転換を明確に宣言したのが、一九六九年の報告書『能力主義管理――その理論と実践』です。
ここでは、「われわれの先達の確立した年功制を高く評価する」と明言し、年功・学歴に基づく画一的人事管理という年功制の欠点は改めるが、企業集団に対する忠誠心、帰属心を培養するという長所は生かさなければならないとし、全従業員を職務遂行能力によって序列化した資格制度を設けて、これにより昇進管理や賃金管理を行っていくべきだと述べています。
「能力」を体力、適性、知識、経験、性格、意欲からなるものとして、きわめて属人的に捉えている点において、明確にそれまでの職務中心主義を捨てたと見てよいでしょう。
これ以後の日本の典型的な賃金制度は、個々の労働者の職務遂行能力を評価した資格(職能資格)に基づいて賃金を決定する職能給となります。
職務遂行能力はあくまでも潜在能力の評価であって、実際に従事している職務とは切り離されているので、企業が労働者をどんな職務につける場合でも障害にはなりません。
逆にいえば、賃金制度が職能給という形に落ち着いたことで、職務の限定なき雇用契約という在り方が確立したともいえます。
職能給の根拠となる職務遂行能力は、具体的な職務から切り離された一般的な潜在能力ですから、その評価も具体的な職務に関する客観的な技能水準よりは主観的な要素が中心となりがちです。
これが賃金差別問題の原因ともなります。
一方で、一般的な潜在能力は通常年齢や勤続とともに高まると考えられますから、実際の賃金カーブは年功的な上昇を示すことは不思議ではありません。
とりわけ制度設計上、各職能資格ごとに標準滞留年数や最長滞留年数を設定し、労働者によって幅を持たせながら一定年数経過したら必ず昇級、昇格させていくという年功的な運用が広く見られました。
この意味では、職能給も年功賃金の一種ということになります。」
と1970年前後までにはいわゆる「日本的」な雇用慣行がすっかり決まっていたらしい。
この後、裁判での判例や立法によってこのメンバーシップ型雇用制度の強化が行われる。
それについては、また後日記事にしようと思う。
※職務給というのは仕事の内容で給料が決まる形、職能給というのは個人の職務遂行能力で給料が決まる形、ということのようだ。
職務給が「ジョブ型」の雇用に該当する
2014年10月2日木曜日
昨日は
内定式だった。
その後に飲み会などもあり、まあ、今後やっていけそうかなと思う。
でも、部門長より上の経営に近いところはどうせ親会社から降ってくるんだろうし、あまり出世は見込めないだろうなあ。
ってことで、早いうちから離脱のための算段を練っておきたい。
簿記を取ったりと、会計系の勉強はやっているつもりなので、会計系のPJTにまわりたいなあ。
データベース系で資格を取ったり経験を積んだりしながらコンサルの方に移りたいところだ。
まずは、今月の基本情報技術者試験に受かることを目標に。
そして、来年春の応用情報技術者試験に受かることを次の目標に据えたい。
■
以前、経済学・法律・ITを主軸にすえたいという話をしたけれど、会計と経済学はずいぶんと考え方が違う。
費用や収益を繰り越しちゃったり、そこに利子がつかなかったり、機会費用という考え方を重視しなかったりと、会計はなんか、ヘン。
でも、その会計と隣接する分野にファイナンスがある。ファイナンスは経済学の考え方とだいぶ近いので、これを参考にしていけば、勉強にも役立つのだろうか
■
さて。大学の方も、9月で無事に卒業できたのだけど、まだ図書館から借りている本がある。
これを読み終わらないことには、読んだ本の記事も書けないので、がんばるのである。
その後に飲み会などもあり、まあ、今後やっていけそうかなと思う。
でも、部門長より上の経営に近いところはどうせ親会社から降ってくるんだろうし、あまり出世は見込めないだろうなあ。
ってことで、早いうちから離脱のための算段を練っておきたい。
簿記を取ったりと、会計系の勉強はやっているつもりなので、会計系のPJTにまわりたいなあ。
データベース系で資格を取ったり経験を積んだりしながらコンサルの方に移りたいところだ。
まずは、今月の基本情報技術者試験に受かることを目標に。
そして、来年春の応用情報技術者試験に受かることを次の目標に据えたい。
■
以前、経済学・法律・ITを主軸にすえたいという話をしたけれど、会計と経済学はずいぶんと考え方が違う。
費用や収益を繰り越しちゃったり、そこに利子がつかなかったり、機会費用という考え方を重視しなかったりと、会計はなんか、ヘン。
でも、その会計と隣接する分野にファイナンスがある。ファイナンスは経済学の考え方とだいぶ近いので、これを参考にしていけば、勉強にも役立つのだろうか
■
さて。大学の方も、9月で無事に卒業できたのだけど、まだ図書館から借りている本がある。
これを読み終わらないことには、読んだ本の記事も書けないので、がんばるのである。
2014年9月30日火曜日
北九州
2014年9月23日火曜日
2014年9月17日水曜日
2014年9月16日火曜日
旧日本軍について
本を読んだので、ちょっと紹介してみる。
「未完のファシズム」は、第一次大戦や日露戦争の時期から日本の軍隊や思想について語り、なぜ日本がその後の戦争に引き込まれざるを得なかったのかを説明してくれる。
「日本軍と日本兵」は、第二次大戦時のアメリカの資料をもとに、日本軍や日本兵についてどのような見られ方をしていたのかがわかる。
僕自身、どう戦っても負けることがわかっていたのに、なぜ日本はアメリカとの戦争に突っ込んでいたのか不思議でならなかった。
(1940年、総力戦研究所というのが設立されていた。各官庁、陸海軍、民間から若手エリートを集めての机上演習の結果、日本必敗という結論を出したらしい)
「未完のファシズム」を読んでみて感じたのは、「戦争に向けて流れができるのは仕方がなかった」というのと、「そもそも日本の権力構造が間違って設計されていたから、その流れを誰も止められなかった」ということだ。
「日本軍と日本兵」を読んで知ったのは、「日本軍は非合理なことばかりしていると思っていたが、仕方のない面もあった」ということだった。
順を追って説明する。
■「未完のファシズム」を読んで思った1つ目。
「戦争に向けて流れができるのは仕方がなかった」
これは、「日本は植民地が少なかったから、ブロック経済ができなかった。そこで資源を得るためにアジアへ向かった」、ということなのだと僕は思っている。
よく日本は「持たざる国」で、イギリスやアメリカは「持てる国」だったと聞くが、そういうことだろう。
さて、日本の陸軍の中には、日本が持たざる国であることに対して2つの派閥があった。
皇道派と統制派である。
皇道派は、言ってみれば「日本は持たざる国なのだから、それらしくある程度弱そうな敵と戦おう」という立場で、
統制派は、「持たざる国である日本を持てる国にするために、満州を得よう、ソ連のように経済を統制して国を発展させていこう」という立場だ。
皇道派では小畑敏四郎、統制派では石原莞爾や永田鉄山、東條英機が紹介されていた。(石原は厳密には違うらしいけど、系統的には統制派と目されていた)
この派閥の考え方は戦い方の違いからくる。
まず、第一次世界大戦によって、「戦争というのは弾薬を大量に使う、総動員体制にならざるを得ない」ということが欧州で知れ渡った。
日本でも軍人や一部知識人はそのことをしっかり学んでいた。
そのため、持たざる国である日本が資源を浪費する戦争をしなければならない、というジレンマに悩み苦しんでいた。
これに適応するための方策が上記の2つの立場であったということだ。
ちなみに、1925年に行われた「宇垣軍縮」では、弾薬を必要とする、機械化された戦争への適応のため、歩兵部隊が主に削減され、浮いた金で戦車や飛行機部隊が新設されていた。
さて、皇道派で小畑敏四郎を挙げたが、本では特に彼の殲滅戦思想について取り上げられていた。
「精神力や鍛練をしっかり積んで、包囲・殲滅すれば寡兵でも敵を倒せる」という話なんだけど、敵を包囲してもそんなに簡単に敵を倒せるとは限らない。
敵が強かったら倒せないかもしれない。この「敵」というのは、暗黙のうちにそれぐらい弱い敵という前提条件が加わっていた、というわけだ。
でも、敵が誰かを決めるのはあくまで外交的な結果であり、政治の仕事なので、軍が口を挟んでいい問題ではない。
だから、あくまで「敵には常に側面から包囲殲滅せよ」ということを表向き述べていた。
そして、皇道派の小畑や荒木といった面々は、政治と軍が密接にかかわって、強い敵とは戦わないで済むようにしていくべきだと考えていた。意外と現実的だったのだ。
だが、満州という利権についてはソ連とぶつかる危険性がある。仮想敵国ソ連に対しても、防衛線を越えてきた軍とだけ戦うようにしたい。
対する統制派は、まあわかりやすい。
石原が満州事変を起こしたのも、手っ取り早く日本を持てる国にするためであった。
まあ、石原が狂信的に日本対アメリカの最終戦争を見ているのに対して、永田はわざわざアメリカを敵に回す理由がよくわからなかったらしいのだけど。(アメリカは当時の日本の主力産業である紡績業の最大の輸出先だった)
石原がいうには、日本に不足している重要な資源は、「石炭・鉄鋼・石油・鉛・亜鉛・ニッケル・アルミニウム・マグネシウム・綿花・羊毛・ゴム・バルブ・塩」である。そのうちのかなりのものは満州で生産供給が可能であった。
だから、満州五カ年計画によって満州を開発していこうとしていた。
まあこういった形で陸軍内の2つの派閥が争って、結局統制派が勝って、満州で好き勝手やってるうちにアメリカから最後通牒を突きつけられた。
日本の社会としても、政治や経済で解決できないとみていたんだろうな。
(金融政策で結構なんとかなったんじゃねーの?って私見としては思うけど。高橋是清とかいたじゃん。金解禁のあたりの金融政策はいっぺんさらっておきたい)
■ほんで、「未完のファシズム」を読んで思ったことの2つ目。
「そもそも日本の権力構造が間違って設計されていたから、その流れを誰も止められなかった」
日本史の教科書でも、「元老政治」とか、「統帥権干犯問題」について書いてあるよね。
統帥権干犯問題が一番説明しやすいから、それを例にとる。
「統帥権」というのは、軍の指揮権だ。これは、大日本帝国憲法では天皇が握るものとされていた。
今の日本と違って内閣総理大臣が軍の指揮をとれない。文民統制がきいていない状況だ。
でも、実際に天皇に指揮をとらせて責任を負わせることなんてできるはずがない。
運用上では、明治維新を担った元老たちがこれをするはずであった。
でも、元老たちが死んだあと、統帥権は宙に浮いてしまい、誰も手綱を握れなくなってしまった。
こういったことがいくつもあった。
例えば内閣総理大臣の指名。現代日本では国会で決まるが、当時は政党政治が当たり前ではなかった。
あれは天皇によって指名されていたのだけど、それも元老たちの助言によって補われていた。
こういった形で、制度になっていない権力が元老に集まっていたのに、元老が死んで宙に浮いてしまった。
天皇にも責任を負わせられない。だから、誰も責任を取れない。
誰も、戦争に向かう流れを止められなかった。
■そして、最後。
「日本軍と日本兵」について。
「日本軍は非合理なことばかりしていると思っていたが、仕方のない面もあった」
例えば、対戦車歩兵。
戦車に対しては空から爆撃したり、対戦車砲でどかーんとやったりする。
でも、日本はそういう兵器があまり作れなかった(資源不足?)ので、歩兵が爆弾とかで戦車を撃退しようとしていた。
成功率はあまり高くなかったらしいけど、兵器がないから人を使うしかない、と。
たしか、ベトナム戦争でもゲリラがやってたんだっけ?
あるいは、バンザイ突撃。
日本兵はバンザーイと叫びながら突撃をすることがあった、らしい。映画とかでもやってるが。
これは、陣地を失って取れる手もなくなってしまった末の、半ばヤケクソ的なものだったらしい。
案の定、というか、あまり敵に損害も与えられない。
特筆すべきなのは、日本軍が一度陣地を築くと、なかなか手ごわかったらしい、ということ。
弾をムダにしないようにしっかりと敵を引き付けてから撃つので、アメリカはかなりてこづったらしい。
なかなか、旧軍に対する考え方を変えてくれた本だった。
日本の統治構造に起因する問題については、以下の本も詳しそうなので、いずれ読んでみたい。
職掌をしっかり決めない日本企業の雇用制度(メンバーシップ型雇用)に関する話が最近盛んだけれど、
それって、こういうところにも表れていたんじゃないかという気がしてならない。
組織のデザインってしっかりやらないといけないよなあって思う。
「未完のファシズム」は、第一次大戦や日露戦争の時期から日本の軍隊や思想について語り、なぜ日本がその後の戦争に引き込まれざるを得なかったのかを説明してくれる。
「日本軍と日本兵」は、第二次大戦時のアメリカの資料をもとに、日本軍や日本兵についてどのような見られ方をしていたのかがわかる。
僕自身、どう戦っても負けることがわかっていたのに、なぜ日本はアメリカとの戦争に突っ込んでいたのか不思議でならなかった。
(1940年、総力戦研究所というのが設立されていた。各官庁、陸海軍、民間から若手エリートを集めての机上演習の結果、日本必敗という結論を出したらしい)
「未完のファシズム」を読んでみて感じたのは、「戦争に向けて流れができるのは仕方がなかった」というのと、「そもそも日本の権力構造が間違って設計されていたから、その流れを誰も止められなかった」ということだ。
「日本軍と日本兵」を読んで知ったのは、「日本軍は非合理なことばかりしていると思っていたが、仕方のない面もあった」ということだった。
順を追って説明する。
■「未完のファシズム」を読んで思った1つ目。
「戦争に向けて流れができるのは仕方がなかった」
これは、「日本は植民地が少なかったから、ブロック経済ができなかった。そこで資源を得るためにアジアへ向かった」、ということなのだと僕は思っている。
よく日本は「持たざる国」で、イギリスやアメリカは「持てる国」だったと聞くが、そういうことだろう。
さて、日本の陸軍の中には、日本が持たざる国であることに対して2つの派閥があった。
皇道派と統制派である。
皇道派は、言ってみれば「日本は持たざる国なのだから、それらしくある程度弱そうな敵と戦おう」という立場で、
統制派は、「持たざる国である日本を持てる国にするために、満州を得よう、ソ連のように経済を統制して国を発展させていこう」という立場だ。
皇道派では小畑敏四郎、統制派では石原莞爾や永田鉄山、東條英機が紹介されていた。(石原は厳密には違うらしいけど、系統的には統制派と目されていた)
この派閥の考え方は戦い方の違いからくる。
まず、第一次世界大戦によって、「戦争というのは弾薬を大量に使う、総動員体制にならざるを得ない」ということが欧州で知れ渡った。
日本でも軍人や一部知識人はそのことをしっかり学んでいた。
そのため、持たざる国である日本が資源を浪費する戦争をしなければならない、というジレンマに悩み苦しんでいた。
これに適応するための方策が上記の2つの立場であったということだ。
ちなみに、1925年に行われた「宇垣軍縮」では、弾薬を必要とする、機械化された戦争への適応のため、歩兵部隊が主に削減され、浮いた金で戦車や飛行機部隊が新設されていた。
さて、皇道派で小畑敏四郎を挙げたが、本では特に彼の殲滅戦思想について取り上げられていた。
「精神力や鍛練をしっかり積んで、包囲・殲滅すれば寡兵でも敵を倒せる」という話なんだけど、敵を包囲してもそんなに簡単に敵を倒せるとは限らない。
敵が強かったら倒せないかもしれない。この「敵」というのは、暗黙のうちにそれぐらい弱い敵という前提条件が加わっていた、というわけだ。
でも、敵が誰かを決めるのはあくまで外交的な結果であり、政治の仕事なので、軍が口を挟んでいい問題ではない。
だから、あくまで「敵には常に側面から包囲殲滅せよ」ということを表向き述べていた。
そして、皇道派の小畑や荒木といった面々は、政治と軍が密接にかかわって、強い敵とは戦わないで済むようにしていくべきだと考えていた。意外と現実的だったのだ。
だが、満州という利権についてはソ連とぶつかる危険性がある。仮想敵国ソ連に対しても、防衛線を越えてきた軍とだけ戦うようにしたい。
対する統制派は、まあわかりやすい。
石原が満州事変を起こしたのも、手っ取り早く日本を持てる国にするためであった。
まあ、石原が狂信的に日本対アメリカの最終戦争を見ているのに対して、永田はわざわざアメリカを敵に回す理由がよくわからなかったらしいのだけど。(アメリカは当時の日本の主力産業である紡績業の最大の輸出先だった)
石原がいうには、日本に不足している重要な資源は、「石炭・鉄鋼・石油・鉛・亜鉛・ニッケル・アルミニウム・マグネシウム・綿花・羊毛・ゴム・バルブ・塩」である。そのうちのかなりのものは満州で生産供給が可能であった。
だから、満州五カ年計画によって満州を開発していこうとしていた。
まあこういった形で陸軍内の2つの派閥が争って、結局統制派が勝って、満州で好き勝手やってるうちにアメリカから最後通牒を突きつけられた。
日本の社会としても、政治や経済で解決できないとみていたんだろうな。
(金融政策で結構なんとかなったんじゃねーの?って私見としては思うけど。高橋是清とかいたじゃん。金解禁のあたりの金融政策はいっぺんさらっておきたい)
■ほんで、「未完のファシズム」を読んで思ったことの2つ目。
「そもそも日本の権力構造が間違って設計されていたから、その流れを誰も止められなかった」
日本史の教科書でも、「元老政治」とか、「統帥権干犯問題」について書いてあるよね。
統帥権干犯問題が一番説明しやすいから、それを例にとる。
「統帥権」というのは、軍の指揮権だ。これは、大日本帝国憲法では天皇が握るものとされていた。
今の日本と違って内閣総理大臣が軍の指揮をとれない。文民統制がきいていない状況だ。
でも、実際に天皇に指揮をとらせて責任を負わせることなんてできるはずがない。
運用上では、明治維新を担った元老たちがこれをするはずであった。
でも、元老たちが死んだあと、統帥権は宙に浮いてしまい、誰も手綱を握れなくなってしまった。
こういったことがいくつもあった。
例えば内閣総理大臣の指名。現代日本では国会で決まるが、当時は政党政治が当たり前ではなかった。
あれは天皇によって指名されていたのだけど、それも元老たちの助言によって補われていた。
こういった形で、制度になっていない権力が元老に集まっていたのに、元老が死んで宙に浮いてしまった。
天皇にも責任を負わせられない。だから、誰も責任を取れない。
誰も、戦争に向かう流れを止められなかった。
■そして、最後。
「日本軍と日本兵」について。
「日本軍は非合理なことばかりしていると思っていたが、仕方のない面もあった」
例えば、対戦車歩兵。
戦車に対しては空から爆撃したり、対戦車砲でどかーんとやったりする。
でも、日本はそういう兵器があまり作れなかった(資源不足?)ので、歩兵が爆弾とかで戦車を撃退しようとしていた。
成功率はあまり高くなかったらしいけど、兵器がないから人を使うしかない、と。
たしか、ベトナム戦争でもゲリラがやってたんだっけ?
あるいは、バンザイ突撃。
日本兵はバンザーイと叫びながら突撃をすることがあった、らしい。映画とかでもやってるが。
これは、陣地を失って取れる手もなくなってしまった末の、半ばヤケクソ的なものだったらしい。
案の定、というか、あまり敵に損害も与えられない。
特筆すべきなのは、日本軍が一度陣地を築くと、なかなか手ごわかったらしい、ということ。
弾をムダにしないようにしっかりと敵を引き付けてから撃つので、アメリカはかなりてこづったらしい。
なかなか、旧軍に対する考え方を変えてくれた本だった。
日本の統治構造に起因する問題については、以下の本も詳しそうなので、いずれ読んでみたい。
職掌をしっかり決めない日本企業の雇用制度(メンバーシップ型雇用)に関する話が最近盛んだけれど、
それって、こういうところにも表れていたんじゃないかという気がしてならない。
組織のデザインってしっかりやらないといけないよなあって思う。
2014年9月14日日曜日
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